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高校2年生、早すぎた栄光と挫折

無我夢中で絵を描いていた時代。当時描いた「自画像」が「鹿児島県の高校美術大会」にて、県知事賞(大賞)を受賞することになりました。美術部の先生や仲間たちや、同居していた祖母・母も大変喜んでくれました。しかし、プレッシャーに弱い私は、その称賛が日に日に重くなりました。画家の道を反対し続けた父親からは「これて未練なく絵の道を辞められるな」と言われ、とてもショックでした。

それからは、自由に絵を描く感覚を忘れてしまいました。何を描くにも「受験」や「賞」がつきまとい、評価を気にするようになりました。そうして、高校三年生の時には、同じ大会にて「入選」という、お情けで落選は免れた・・というほどスランプに陥りました。

今から思えば、もっと自信過剰になって、若さゆえのイタさで前を向いていればよかったのかもしれません。スポーツでいうところの名門校のヒエラルギーが美術界にもありました。しかし、私は予備校で何年も浪人して、信じられないくらいに絵が上手いのに、美大に合格できない先輩たちを見てきました。それほど美大の壁は高いのだと思うと、自信がどんどんなくなってきたのです。「美大に合格する」という目標に照らし合わせたら、本来「絵画」の持つ、心の衝動や叫びを表現することは、あまり意味をなさなくなっていたのです。

私は迷いに迷った挙句、そのまま全ての美大受験に失敗し、絶望するのでした。

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目次

誕生・幼少期

子供のころ

父親の影響

小学3年生の挫折

将来の夢は・・

美大の存在を知る

高校美術部で世界が広がる

早すぎた栄光と挫折

暗黒の浪人時代

 

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