わたしはひとり、綱渡りしている。
目を閉じると、過去が現れる。
大きな感情に晒されて、ゴウゴウと風が巻き起こり、
途端に足元がおぼつかなくなる。
再び目を開けて、世界を見る。
紺碧の空と、光る雲とへその緒のような赤い綱。
左足で綱の弾力を確かめる。
右足を出す。バランスを整える。
指先で綱を掴む。ひと呼吸。ふぅ。
透明な気配の乱反射。
初めからずっとここを歩いていた。
目を閉じると、また風が吹き荒れる。
何かを囁いている。
風も、初めからずっとそばに居た。
委ねてしまいたかった。
今度の風は強くて濃い。
指先に力を入れる。
また目を開ける。
変わらぬ世界と、果てしない綱の向こう。
なぜ、歩くのか。
ひと呼吸。またもう一歩
東の果ての 海の見える街で
ひとりの少女が考え事をしていた
放りだしたランドセルと
飛び出た教科書の配置に
なにか 不思議な安らぎがあると
植え替えで土まみれのお母さんに
これはなあに と聞いてみたけど
困惑して微笑むだけだった
キッチンのカーテンが揺らいて
潮風が黒髪の隙間を通り抜けた
同じ頃
西の果ての 涼やかな木陰で
ひとりの少年が寝っ転がっていた
花々が風に吹かれて揺れていた
遠くの湖に広がる波紋を見ながら
みえない巨人が
くるくると回っているのだろうと
考えていた
そして
いろんな不思議をすっかり忘れて
大人になった二人は
雪のような真っ白なドレスと
その雪解け水のようなスーツを着て
神父の前で誓いを立てた
キャンドルの炎が揺らいだ刹那
抱えた花束の水滴が
ひとしずく こぼれ落ちて
金色の床に不思議な形を残したが
二人はそれに気づかなかった
それから
25年目の冬
二人は船上にいた
包み込む波の音を聴きながら
夜明け
水平線の果てより
ぼんやりと浮かんくる
世界一の建物を見つめていた
夕凪が 幻想的な世界の始まりを告げる
ふと
彼女の黒髪がなびいて
ほのかな風を生み出した
そこにある不思議な気配を
彼は 懐かしく思い出していた
ーーーーー
Masumi Huckさん。銀婚式おめでとう。
遥か 1万m上空から見えるのは
漆黒に染まる故郷の大地と
汚れなき群青色の空
そして それらを遮る 真っ直ぐな夕焼けの炎
思い起こせば 実に長い間
いつも二つの色が心の内に在って
決して交わることがなかった
恩讐の彼方に
二十一年の歳月をかけて洞穴を貫通させた
市九郎と実之助の一振の槌の力は
目の前に在る夕焼けの炎を想わせる
それは祈り
それは懺悔
それは
数奇な親子の縁
ほら
こんなわずかな間に空は完璧な闇に変わった
もはや何も見えず
ただ
静かな悲しみがある
それを
心に焼き付けた
夕暮れの炎を頼りにして
克明に描くだけ
静寂の青を
塗り重ねている
下地塗り
絵画は産声をあげた
地の底から
響き渡る
声に耳を傾ける
そして
運命の儚さを知る
記憶を失って
生まれてくる色
それは盲目の色
塗り重ねる
溶けて
重なり合って
光を
取り戻す
影と引き換えに
世界の揺らぎを知る
10回重ねれば恋を知り
20回で自立を知る
30回、40回、50回
まだまだ輝ける色
60回、もう遠くへ来てしまった
70回、80回
失った記憶を取り戻す
90回
現実からの乖離
100回
終焉とともに
愛を学ぶ
一筆一筆
塗り重ねている
朝
霧の中
愛犬との散歩道
ぼんやりと
光る霧
幻想的
というより
怪しさすら感じる
乳白色
一番新しい
霧の記憶
クロアチアの早朝
宿から出て
霜の芝生を歩いた
シャカシャカと
小気味良く
潰れる音
どこかで
朝食の香り
深い霧で
先は見えずとも
確かに感じた
温もり
一番古い
霧の記憶
父と
石を探しにいった
河原
庭園を支える
石の正面というものを
はじめて知った
あたりは霧
孤独
急に眠たくなって
川の水の代わりに
霧をすくって
顔を
洗った
朝
散歩道
やがて日が差して
跡形もなく
霧は
消えた
朝起きてアトリエに入ると
何者かの爪痕が残ってた
夜
それも深い夜の仕業だ
引きずるような
かきむしるような
断末魔の叫びような
壮絶な気配を
色濃く残しながら
それでも
朝の光に包まれて
静謐な存在として
そこにあった
爪痕
純粋なまでに
形になりたいという
エネルギー
生きてきた証
意義を持ちたい
色を持ちたい
たとえ狂えども
真理を知りたい
生きたい
ありのままに
生きたい
やがて
朝の光は遥か彼方南米へ
アトリエに
また夜が近づいてくる
静かに
そして確実に
まずは
浅い夜から克服していこう
そして徐々に
深い夜を見据えるのだ
空間を歪めていく爪痕を
新しい形にするために
美しい線にするために
一夜明けて
東京は晴天
雪景色と水たまり
雪かきに勤しむ人
強くなる日差し
空気の質量が軽くなる
見上げれば
薄青い空
ここは東京
小さな雪は
ハラハラと落ちて
儚く消えた
そして
手のひらほどの
空白が残った
その重さは
21グラム
魂の質量と同じ
薄青い空
宇宙一軽い水素と
生命を育む酸素の
美しいリズム
みずみずしいほどの
現象が
目の前にある
これが
命というものかしら
嵐は過ぎ去った。
後には大きな爪痕が残った。
そこに、二人の小さな兄妹が佇んでいた。
嵐は、
兄の大切にしていた名誉を奪い、
妹の大切にしていた聖書を燃やした。
優しかったおじいさんは、戦地に赴いて、
仕立て屋の友人に銃を向けた。
おばあさんは、天に召される前に、
虚空に向かって、そっと不義を告白した。
猫は、誰かのそばにいることを諦めて、
大きな伸びをした後、屋根から飛び去った。
兄妹は、
消えていく嵐を見つめながら、
今はなき家族を思い出していた。
しかし、空腹の音が沈黙を破り、
あてもなく、歩き出した。
朝ネコと、夜ネコは仲が悪い。
朝ネコは、高飛車で完璧主義。
「なんで早く寝ないのよ!あなたのせいで1日を棒に振ったら、たまったもんじゃないんだから!」と言っている。
夜ネコは、マイペースで自由主義。
「世界はすべて夜からはじまるんだよ。キミにつべこべ言われたくないね!」
朝ネコは忙しそうだ。
「今日はいい天気なんだから、洗濯して、スープを煮込んで、お友達と会って、はぁ忙しい忙しい!」
夜ネコは煩わしく顔をしかめる
「一人にさせてほしいな。いろいろと考えることがあるんだ。沈黙こそ金だよ」
「あなたとは、ホント合わないわね!」
「だったらどっか行きなよ!」
「あんたがどきなさい!」
「ふん、絶対動くものか!」
それを見ていた太陽と月は、「やれやれ」と目配りをした。
「僕らは、毎日毎日、違う姿を見せてるのに、あの二人は仲良しすぎて、お互いの顔しか見えてないね」
目の前に広がる無意識の海
そこから浮びあがる衝動のようなもの
それは時に
悲しみの色に変わり
時に、愛の色に変わり
喜びの色に変わり
怒りの色に変わり
目まぐるしく変わり続けた果てに
透明になって
跡形もなく消えてしまう
儚い夢のような
諸行無常の世の中で
手のひらの残った
ひとすくいの水を
こぼさないように
こぼさないように
歩いているようなものなのだ
モスタルの平和の橋で出会った小さい女の子。
彼女の人生をいつも想っている。
そして、彼女の家族や民族や世界の人たちの心の平安を、筆を走らせながら強く願っている。
十字架を重ねた
たくさん
たくさん
生きてきた命の証
ボクは神様から、大きな尻尾をもらった。
「大昔には、英雄を倒して星になった仲間もいたんだ」とお父さんは自慢げに言った。
「この尻尾に責任を持つのよ」とお母さんは優しく言った。
ボクは、この尻尾を使うのがとても怖い。
砂漠で独り、いつもこの尻尾と向き合っている。
正しく生きたいと願っている。