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高校美術部で世界が広がる

有名な映画風に言えば「長友、美術部入るってよ!」です。

私は様々なしがらみからようやっと離れて美術部に入部しました。初めて入った美術室には、異様な殺気が込められてました。まるでラグビー部のような、戦闘モードのエネルギーと言いますか。それもそのはず、その美術部員は毎年、東京の美大を目指していました。辺境の地、鹿児島から、毎夏冬には東京の予備校まで講習を受けに行き、先で浪人している先輩方としのぎを削っていました。

 

当時は美大受験の合格率が40倍の難関でしたので、2、3年の浪人は当たり前。みんな、野武士のような鋭い眼光と長髪に髭を蓄えてました。木炭が刀に見えるほどです。平々凡々と生きてきて、小さな団地で挫折にめげていた私は、「ここに人生の意味がある!」と感動して、一生懸命にデッサンを描きました。初めて描いたラボルトというギリシャの女神の像のデッサンがとても褒められて、「現役合格も夢じゃない!」と言われて、ついつい有頂天になっていました(笑)。

 

周りの生徒は恋愛に夢中でしたが、目もくれず美術室に篭っては、デッサンを重ねていました。先輩は、神ように上手で、同級生は3人しかいませんでしたが、個性的な面々。鹿児島と宮崎しか住んだことのない自分が、いつか東京にいくんだ!と夢に燃えていた時代でした。

 

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目次

誕生・幼少期

子供のころ

父親の影響

小学3年生の挫折

将来の夢は・・

美大の存在を知る

高校美術部で世界が広がる

早すぎた栄光と挫折

暗黒の浪人時代

 

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