中学生のころは、部活は剣道部で汗を流し、クラブ活動で美術部に入っていました。高校受験は学歴に応じた進学校を目指していましたが、同じクラスメイトの子が音楽で「東京芸術大学」を目指していると聞きました。私はその子に憧れていましたから、そんな夢のような学校があるんだと驚き、それなら僕は美術で行きたいと進路を決めました。そして県で美術部に力を入れている学校を受験しました。
ここで、あるある話になりますが、両親に猛烈に反対されました。はい、水戸黄門でいうところの印籠ですね。「絵では食べていけない!」と。「裸の大将になるのか?」とも言われました。いいじゃないですか。
思春期ということもあり、特に反対していた父親とぶつかって、結局祖母の家に家出することに。祖母の家から1時間バスに乗り学校に通っていました。
奇遇にもその高校は祖母の家から歩いて10分ということもあり、合格後は祖母の家から通うようになりました。この中学2、3年生のころが、人生を振り返っても、最も辛い時期でした。家庭はめちゃくちゃになるし、学校も遠いし、当時は生徒会長をしてましたが、日々、全校生徒や教室で学年主任から吊し上げにあうし。。
どうも先生とは馬が合いません。我の強い生徒だったのでしょう。薩摩隼人の教育のせいでしょうか・・。教師だけにはなるまい!と誓いました。
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